『中国・奉天から着の身着のままで引き揚げた私は両親を亡くし頼る人はいなかった。やっと待合の賄い仕事を見つけたが、女主人から身体を売ることを強要されて逃げ、上野の地下道にたどりついた。3日間、食べるものもなく飢える寸前、男が握り飯を二つ差し出した。次の夜も男は握り飯を持ってきた。「話があるから」と公園へ誘われた。それ以来私は「闇の女」とさげすまれるような商売に落ちてゆきました。』
この投書の載った、今買ったばかりの新聞を作詞家清水みのる氏は新宿駅近くの安酒場で何度も読んだ。怒りがこみ上げてきた。これは現実であり、人生であり、生きた感情であり、のっぴきならぬ女性の涙の訴えだった。詩情に動かされていった。こうして生まれたのが戦後日本の現実を歌って大ヒットとなった菊池章子の歌う「星の流れに」である。この話は10月10日(土)、朝日新聞「be」版に特集記事である。こういった話を若い人たちはどう読んでいるのだろう。すでに風化しつつある終戦直後の苦労話として見過ごされていくとしたら悲しいことである。
天皇の戦争責任について同じようなことが言えるかもしれない。昭和天皇はある時記者会見で、そのことを聞かれて、「そういう文学のほうのことは」とあいまいな言い方をした。これをテレビで見ていて唖然とした。東条英機らはいろいろ言われているが、彼らは少なくとも戦争の責任を自らの体で受け止め、戦争犯罪人として死んでいった。天皇の臣下として、天皇に責任が及ぶのを自らの命であがなったのである。自らの直近の臣下らがそうしているのである。天皇は「文学のほうは」でだったか、「文章のほうは」だったか、そんな言葉で、絶好の謝罪の機会を逃してしまった。天皇は国民に対して謝らなかった。つまりまだ謝っていないのである。いや、言及しなかったと言っていい。
カラオケなどで僕は誰かが「星の流れに」を歌うのを聞くと、いつでも涙が溢れそうになる。
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