そんな優れた名品の中で僕の目を引いたのは、鏑木清方の「讃春」という大きな屏風であった。目を引いただけではなく僕はいたく感動をを覚えた。右隻には皇居前広場で語らう上流階級の女学生2人、左隻には隅田川の水上生活者の母子の姿が画かれている。両者の置かれた環境はまるで対照的であるが、のびのびと腰かける女学生の足元にはタンポポが咲き、母子の暮らす舟には桜が一枝飾られている。それぞれに等しく訪れた春の喜びがあふれている。両者に等しく注がれる作者の温かいまなざしが感じられるのである。戦前の日本にはこういう温かさがあった。
単純には比較できないし言いきることはできないが、戦前の日本にはこのような風景はごく日常的に見られることでもあったと僕は思う。いま日本は富める者と貧しい者との格差がますます深まってきている。社会そのものが人間関係を乾いたものにしてきている。電車に乗っても高齢者に席を譲るものも少ない。子供も大人も見て見ぬふりをする。どうしてこんな干からびた社会になってきたのだろう。政治の貧困のせいにするのは簡単である。教育のせいにすることもできる。民衆の一票一票が政治を変えた。自民党は巻き返しを図ろうと懸命である。ならどうして自分たちの政権のあるときに破廉恥な高級官僚たちの天下りを見過ごしてきたのだろう。
民主党政権になって様々の試みに挑戦しようとしている。これだけ自民党政権に野放しにされてしまったこの日本がそう簡単に良くなるわけがない。多少の勇み足やつまずきがあっても民主党の政治を温かいまなざしで見守っていきたい。
かつて四民平等という言葉があった。富める者が貧しい者を蔑むこともなく、貧しい者が富める者を羨むこともなく、互いに助け合って分を心得て生きていける社会、鳩山首相の言う「友愛」の社会とはそのような社会を目指すことではないのだろうか。そんなことを考えながら家路についた。
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