水を打った玄関を入ると、女中さんが案内してくれる。中は上野の森の斜面を利用して建ててあり、新緑の林の中にある。外から見ていてはわからないが意外に広い。細長い席に妻と並んで、足を床の下につけて腰を下ろした。ちょうど我が家の掘り炬燵に座っているような感じで妙に落ち着く。卓の前は一段低くなっていて、担当の女中さんが客に向かい合って給仕したり、歩いたりできるようになっている。その向こうにはガラスを通して夕暮れの森の木々が風に揺れている。
この日、妻と二人で、東京国立博物館の本館2Fで特別展示された直江兼継の手紙や小早川秀秋の陣羽織、江戸時代大奥の女性の服装などを見学し、同館内のミュージアムシアターで「江戸城ー本丸御殿と天守」をバーチャルリアリティに再現した映像を解説付きで見せてもらった。終わって国立博物館を出て、少しまだ早いが今夜は外で夕食していこうと、入ったのが『韻松亭』であった。僕は初めてだったが、妻は前に友人と2,3度来たことがあるようだった。僕は少し贅沢かなと思ったが、たまにはいいか、ということになった。
次々と出てくる料理はどれも美味しかった。店の創業は明治8年、今年で135年目だと係の女性が教えてくれた。芭蕉に、
花の雲鐘は上野か浅草か
という句があるが、店の名はそれからとったようだ。一時期横山大観もオーナーだったことがあったという。その当時を彷彿とさせる雰囲気が店内のあちこちに見られ、おそらく明治、大正、昭和の文人墨客たちも多数出入りしてきたのであろう。そんなことを思いながら料理を味わった。夕闇が近づいてきた。外に篝火が焚かれ、部屋部屋の灯がガラスに映り、ムード満点である。桜の古木が見えていたが、桜の時季もまたいいだろう、花吹雪を眺めながらの食事もいいだろう、紅葉のころも格別だろう。冬は冬で雪景色もいい。句会の皆さんと一度ご一緒したらどうかしら、などと妻が話しかけてきた。それもいいかなと思った。
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