この見通しのきく桟敷席で、舞台で展開される劇を見ながら、僕はいろいろと思いを巡らせていた。それにしても、この壮大な舞台装置といい、観客席といい、これらを作り上げるだけでも凄いことだ。敬服に値する。舞台はおそらくその下には巨大な水槽を据え、その上に
ステージを設える。舞台
セットを作成する
美術スタッフの
技能や、フィナーレで見せてくれる「水落とし」に代表される演出技術の高さは一流だと思う。舞台の左右には大道具でセットを設え、恐らくは人力で舞台全体を回転させるのだろう。設えられた舞台の背面の上部には、寺の境内の立木が見え、夜空さえ見えるのだ。その夜空から人が降りてくることさえある(そう見えるのだ)。また
クレーンを使って小型
飛行機さえ舞台に登場することさえある。観客席は200人以上入ってもびくともしない。寺山修司の天井桟敷や唐十郎らの世界を超えた壮大な
スケールの演劇集団、それが水族館劇場である。これらの舞台装置と天井付きの観客席を劇団員全員で作り上げるのだ。彼らは劇だけやっているのではないのである。建物を借りたり、市販のテントを立てたりするのではなく、自分達の演劇に最もふさわしい空間を、自分達の力で作り出すのである。
建築家や土木工事の専門家のような腕を持った人も彼らの中にいるのだろう。家一軒
建てるくらいなんでもないのだ。
入場料は4000円とっても元はとれまい。たぶん持ち出しだろう。だから団員は普段は
フリーターや土木作業員などをしているのだろう。給料をもらって劇をしているのではない。根性が違う。公演の前に1〜2か月共同生活をして劇の練習をし、さらに自分たちで舞台の建物さえつくってしまうのである。彼らの間に連帯感が生まれるのは当然のことである。
今回の脚本もそうだが、桃山さんが書くものは一貫して、国家の犠牲となった「弱きもの」たちへの温かいまなざしがある。国家やそれと結びついた企業に対する疑問と怒りが、その思索活動の根底にあるからである。
posted by tora13 at 10:47| 埼玉

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日記
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