2009年06月04日

阿修羅の前に立つ

昨日の続きを書こう。
とうとう阿修羅の部屋まで来た。スロープになっている一段高くなっているところから手すりにつかまって下を見ると、阿修羅像が燦然と輝くように、黄金色の光の中にこちらを向いて立っていた。なんという美しいお姿だろう。ここから見るとこころなし小ぶりに見える。僕は手すりにつかまったまま、初めて阿修羅に出会った時のことをぼんやりと思い出していた。
あれはまだ20代の初めのころだった。ひとりで奈良の郊外の寺々を廻った後、国立奈良博物館に立ち寄った。当時は阿修羅像はそこに預けられていた。たしか部屋の一番奥の場所のガラスケースの中に、阿修羅は立って僕の方を見ていた。まるで1300年近い時空を超えて生きているかのようにそこにいた。憂いを含んだその瞳は僕を超えて遥かなものを見つめていた。今でいう美少年の原型のようなお姿だった。ほっそりとしたその肢体、下駄か木靴のような履き物、モンペのようなズボンのようなものとその布に描かれた花のような模様と藍の色彩、胸の部分に垂れている見事な首飾り、きれいなおなかの臍、そして正面と左右の3つの頭部、六本のしなやかな細い手、ひと組の手は胸の前で合掌のポーズである。そういう細部に至るまでを鮮明に思い出していた。
2度目に会ったのは30代になってからである。僕は高校の教師になっていた。修学旅行の引率で、担任している高2の生徒たちと阿修羅の前に立った。そして3度目が今度である。
ぼんやりと物思いに耽っている間に疲れも取れてきた。スロープの下は阿修羅を囲んで二重三重に、いやそれ以上の人の渦である。阿修羅はガラスケースの中ではなく人々の輪の中心に立っている。手で触れるほどの真近かにいるのだ。阿修羅と人々の間には一本の白い紐が張られているだけである。係員の若い人たちが紐の先頭に立ち、叫んでいる。「押さないでください。時計回りにゆっくり回ってください。止まらないでください」…。僕はその中に入らないで、その群集の肩越しに阿修羅の顔をしばらく見ていた。阿修羅は自分のために集まってきたこの衆生の群衆をどう思っているのだろう。もともと阿修羅はインドの戦いの神である。阿修羅はその憂いを含んだ瞳で、現代という底知れない修羅場で日々戦っているわれら衆生を見つめながら、深い瞑想に耽ってくださっているのだろう。僕はそんなことを考えながら、その場を離れた。



posted by tora13 at 10:07| 埼玉 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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