2009年07月03日

上野の杜で

上野公園の中にある『韻松亭(インショウテイ)』で懐石料理を食べた。懐石料理など久しぶりである。僕ら仏文の仲間で上野に出ると、上野公園の大噴水の方から大通りを下りる途中の左側の坂を上ったところにところにある静養軒で夏などよく生ビールなど飲む。その静養軒へ通ずる坂道の上り口のところに『韻松亭』はある。風情のある店だなあと前々から気になっていた。
水を打った玄関を入ると、女中さんが案内してくれる。中は上野の森の斜面を利用して建ててあり、新緑の林の中にある。外から見ていてはわからないが意外に広い。細長い席に妻と並んで、足を床の下につけて腰を下ろした。ちょうど我が家の掘り炬燵に座っているような感じで妙に落ち着く。卓の前は一段低くなっていて、担当の女中さんが客に向かい合って給仕したり、歩いたりできるようになっている。その向こうにはガラスを通して夕暮れの森の木々が風に揺れている。
この日、妻と二人で、東京国立博物館の本館2Fで特別展示された直江兼継の手紙や小早川秀秋の陣羽織、江戸時代大奥の女性の服装などを見学し、同館内のミュージアムシアターで「江戸城ー本丸御殿と天守」をバーチャルリアリティに再現した映像を解説付きで見せてもらった。終わって国立博物館を出て、少しまだ早いが今夜は外で夕食していこうと、入ったのが『韻松亭』であった。僕は初めてだったが、妻は前に友人と2,3度来たことがあるようだった。僕は少し贅沢かなと思ったが、たまにはいいか、ということになった。
次々と出てくる料理はどれも美味しかった。店の創業は明治8年、今年で135年目だと係の女性が教えてくれた。芭蕉に、
花の雲鐘は上野か浅草
という句があるが、店の名はそれからとったようだ。一時期横山大観もオーナーだったことがあったという。その当時を彷彿とさせる雰囲気が店内のあちこちに見られ、おそらく明治、大正、昭和の文人墨客たちも多数出入りしてきたのであろう。そんなことを思いながら料理を味わった。夕闇が近づいてきた。外に篝火が焚かれ、部屋部屋の灯がガラスに映り、ムード満点である。桜の古木が見えていたが、桜の時季もまたいいだろう、花吹雪を眺めながらの食事もいいだろう、紅葉のころも格別だろう。冬は冬で雪景色もいい。句会の皆さんと一度ご一緒したらどうかしら、などと妻が話しかけてきた。それもいいかなと思った。
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2009年06月21日

繊細にして気品漂い…

ヴァイオリンの音色を梅雨空の都会の喧騒の中で聴いた。華やかで気品漂う音色に思わず足を止めて聴き入ってしまった。
『ハートフルコンサート』と名打った演奏会は、6月19日(金)19:30から有楽町駅前の東京交通会館内の1Fの通路で開かれた。ビルの中であるから公道のようなもので通行人もいたが立ち止まって耳を傾ける人も多かった。僕は妻と出光美術館へ行った帰りでもう夕暮れだった。
久々に銀座に出たので寿司を食べ、それから医者に禁止されている甘味屋にも寄った。家ではいつも妻は調理は一切砂糖は使わず、人工甘味料のパルスウィートだけでつくるのだが、たまにはいいだろうと妻も大目に見てくれた。そのあと交通会館で何か買って帰ろうと立ち寄ったのである。JR関連のビルだけあって、ここの1F奥の店には全国からの名産品特産品が置いてある。そこへ行こうとビルに入ると、山野楽器の制服を着ている女性が薄緑色のチラシを配っていて、ぜひ聴いていってくださいと言う。時計を見るとまだ19時である。買い物で時間を潰して演奏を待った。もう4,50人集まっていた。
 メヌエット
 ブーレ
 ガボット
 埴生の宿
 赤いサラファン
 星に願いを
わずか30分の演奏会であったが、生で聴くヴァイオリンの音色のなんて繊細で心に響いたことか。とりわけ僕には「埴生の宿」がよかった。まるでこころを洗われるようであった。ヴァイオリンだけの演奏である。しかもざっと数えて28人のヴァイオリンだけの大演奏である。女性が多いが、男性も4,5人いる。白髪の年配の男性もいる。説明によると、このビルの11Fにある「ヤマノミュージックサロン有楽町」でレッスンを受けている生徒さんたちだそうだ。もちろんもう素人の域を超えているようだ。
僕は最近親戚からフォークギターを貰った。たまにはいいですよとその親戚は言って僕に新品をくれたのだが、残念ながら僕は弾けないので自室に立てかけて飾ってある。実に困ったものだ。この機会にギターでも習ってみようかなとは思っていた。しかしヴァイオリンを生で聴いて、どうせならヴァイオリンの方がいいな、と迷っている。


posted by tora13 at 09:30| 埼玉 雨| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月20日

都会のオアシスで…英国紳士たち

出光美術館は僕の好きな美術館である。ビルの9階にあるが閑静で落ち着いた雰囲気が漂っている。有楽町の駅を降りて歩いてすぐのところにある。
時間がある時には立ち寄る。そこで展示品を観ながら1時間ほどを過ごす。館内の案内人というか、学芸員というか、まあ職員といったらいいか、何と呼んだらいいかわからないが、その人たちが感じのいい人たちである。まず親切である。みな年配者である。きちんとスーツを着こなしていてスマートで背が高い。執事のような、映画に出てくるイギリス紳士のような人たちである。おそらくは現役時代は出光の商社マンとして海外を飛び回っていたのだろう。引退してここにいるのだろう。風格があり、僕はすっかり気に入ってしまった。
疲れたら、休憩室でゆったりソファに腰掛けて、お茶を飲みながら過ごすのがまた至福のひとときである。お茶は無料である。緑茶もあればウーロン茶もある。その他にもある。ホットもあれば冷えたのもある。こんな美術館は例がないだろう。ファンも多い。希望すれば会員制のクラブもあるようだ。都会的であか抜けている。特に夕方がいい。休憩室の正面は皇居のお堀である。ここから見下ろす夕暮れの皇居のたたずまいはちょっといい。
さて昨日のことだが、僕は江戸時代の絵師、英一蝶(ハナブサイッチョウ)の絵に興味があるのだが、一蝶の『四季日待図巻』が出光美術館で見られると新聞で知り、出かけて行った。「日本の美・発見U やまと絵の譜」と題して、館所蔵のやまと絵を展示してあった。その中に一蝶のものは3点あった。『凧揚げ図』一幅、『桜花紅葉図』双幅、そして『四季日待図巻』一巻であった。
『四季日待図巻』は見ごたえがあった。一説によると、一蝶はこの作品を描いた時期、なにかの罪で三宅島あたりに送られて不如意な生活を送っていたのでないかと言われている。画面の色調が少し淡いのはそのせいか絵具にも不自由していたのでないか。それにしても江戸での楽しかった頃の生活を思い出して、元禄のころの江戸の庶民の生活が丹念に正確に描かれている。一見に値する。


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2009年06月12日

乳房ある憂さ…

関東地方も10日に梅雨入りしたようだ。いよいよ憂鬱な季節である。桂信子にこんな句がある。

ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  信子 

昭和30年発行の彼女の第二句集『女身』にある。僕の好きな句である。彼女は俳句は男、短歌は女といわれていた頃に俳句の道を切り開いた女性としてはさきがけのような人である。その瑞々しい感性に惹かれる。

昨夜遅くというか、今朝早くといった方がいいが、ラジオでとうとうWHOが今流行している豚インフルエンザの警戒度レベルを最高値のフェーズ6に引き上げることに決定したというニュースを聞いた。桂信子の梅雨の句を思い浮かべて床の中でうとうとしていたのだが、すっかり目が覚めてしまった。
そのニュースの中で最近よく聞く「パンデミック」という語について考えてみた。感染症が限られた期間に急激に世界的に大流行することをいうのだそうである。そういう意味ならすぐ思い出すのはスペインかぜのことだ。思い出すと言っても、スペインかぜが流行したのは1918年のことだから、僕はまだ生まれてもいない。仮に生れていたとしたら、僕みたいな病気がちのものはとっくの昔にこの世にはいないだろう。1918年といえば第一次世界大戦のころだ。日本では米騒動が起こったりしていた頃だ。シュペングラーが『西洋の没落』を書いた年であり、 魯迅が『狂人日記』を書いた年でもある。
スペインかぜでは世界で約4000万人、日本では約39万人が死んだと言われている。当時のことだから実数はもっと多かったのではないかとも言う人もいる。それにしても驚愕的な数字である。



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2009年06月11日

弱きものへのまなざし

この見通しのきく桟敷席で、舞台で展開される劇を見ながら、僕はいろいろと思いを巡らせていた。それにしても、この壮大な舞台装置といい、観客席といい、これらを作り上げるだけでも凄いことだ。敬服に値する。舞台はおそらくその下には巨大な水槽を据え、その上にステージを設える。舞台セットを作成する美術スタッフの技能や、フィナーレで見せてくれる「水落とし」に代表される演出技術の高さは一流だと思う。舞台の左右には大道具でセットを設え、恐らくは人力で舞台全体を回転させるのだろう。設えられた舞台の背面の上部には、寺の境内の立木が見え、夜空さえ見えるのだ。その夜空から人が降りてくることさえある(そう見えるのだ)。またクレーンを使って小型飛行機さえ舞台に登場することさえある。観客席は200人以上入ってもびくともしない。寺山修司の天井桟敷や唐十郎らの世界を超えた壮大なスケールの演劇集団、それが水族館劇場である。これらの舞台装置と天井付きの観客席を劇団員全員で作り上げるのだ。彼らは劇だけやっているのではないのである。建物を借りたり、市販のテントを立てたりするのではなく、自分達の演劇に最もふさわしい空間を、自分達の力で作り出すのである。建築家や土木工事の専門家のような腕を持った人も彼らの中にいるのだろう。家一軒建てるくらいなんでもないのだ。
入場料は4000円とっても元はとれまい。たぶん持ち出しだろう。だから団員は普段はフリーターや土木作業員などをしているのだろう。給料をもらって劇をしているのではない。根性が違う。公演の前に1〜2か月共同生活をして劇の練習をし、さらに自分たちで舞台の建物さえつくってしまうのである。彼らの間に連帯感が生まれるのは当然のことである。
今回の脚本もそうだが、桃山さんが書くものは一貫して、国家の犠牲となった「弱きもの」たちへの温かいまなざしがある。国家やそれと結びついた企業に対する疑問と怒りが、その思索活動の根底にあるからである。
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2009年06月10日

頑張れ!テント・アングラ劇団

6月8日、まだ梅雨に入っていないが、朝からくもり空の今にも降り出しそうな日であった。水族館劇場の『メランコリア死の舞踏』に出かけて行った。行こう行こうと思っていたが、楽日になってしまった。満員で観られないかもしれないがその時はその時だ、そう思って出かけた。このアングラ劇団の東京での年1回の公演を見逃したくない。テントを張っている駒込大観音の木戸口へ行くと、立ち見になるかもしれない雰囲気である。ファンが多いのだ。運がいいことに、顔を知っている監督で脚本を書いている桃山邑さんが出てきて木札を渡してくれた。この木札の番号は特別に残しておいた席番号で、どうやら席が確保できた。開演は7時からなので、また白山神社に戻り、ゆっくりアジサイを見てまわり俳句などひねって時間をつぶした。
7時からテント前でプロローグの野外劇が始まった。 僕は一番前の列にいたのでしゃがんで観た。役者のつばきが飛んで来るほど眼の前で演じている。ぎっしり立って観ている客を押し分けて役者が現れたり、クレーンの上に登場したりして演ずる役者たちは一生懸命である。そのうち煙玉を使ったので、その煙りと臭いにむせて喉が痛くなってたまらず、脇に逃げて立って観ていた。この野外プロローグで演者と観客に一体感が生まれる。現在と過去が行ったり来たりする不思議な世界に観客はさそいこまれていく。夕暮れの薄暗闇の中で演じられる現実であって非現実の世界である。
プロローグが終わって、いよいよテントの中へ入る。観客は劇団員に誘導されて、一人ずつやっと通れる入口からテント内の桟敷席に靴を脱いで手に持って案内される。肩も膝も尻も背中も触れ合うほどの狭い席にびっしり座る。終演までの約2時間見動くもできないほどの場所で演劇を鑑賞するのである。これが厭なら観に来なければいい。この会場は200人も入ればいっぱいだろう。そこへ楽日とあって230人は入っているだろう。まさに超満員である。立ち見もいる。僕は劇団を見に来たのは昨年、一昨年と今度で3回目である。過去2回は一番前の席であった。池が前に作ってある。役者がよくこの中に飛び込んだり潜ったりする。フィナーレには天井から何トンとも思われる量の水が大量に降ってくる池である。水族館劇場得意芸の池である。だからこの近くの席に座る客は、ビニールを被って観る。相撲の砂被りの席なんてもんじゃない。
今度座った劇は3階特等席だ。3階と言っても3階建てになっているわけではない。舞台前の席から急斜面になって席が設けられている。その一番高い席といえばいいだろう。照明席の前の席である。したがって見通しがいい。(続)
posted by tora13 at 10:59| 埼玉 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月06日

三面記事的話題ですが

岡山県でこんな事件があった。老婦人が財布のひったくり被害にあった。悲鳴を聞きつけて高1の少年が自転車で犯人を追いかけた。更に別の高3の少年もその逃げる犯人を追いかけたという。二人の高校生は偶然通りかかっただけでお互いに友人でも知り合いでもない。二人は犯人を挟みうちして捕まえて、駆けつけた警察官に引き渡した。ところがその犯人が愛媛県警の現職警察官だったとわかった。しかも、ひったくり犯罪専門に扱う警察官だったというのである。
お手柄の高校生二人は報道陣に囲まれてこう感想を述べた。高1生は実に高1生らしく、高3生は誠に高3生らしい。

高1の生徒
 「捕まえる側が捕まえられて、おかしいな、と思いました。」
高3の生徒
 「世も末だな、と思いました。」

僕はテレビで見ていて思わず苦笑してしまった。言い得て妙!ごもっともです。
posted by tora13 at 21:21| 埼玉 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月04日

阿修羅の前に立つ

昨日の続きを書こう。
とうとう阿修羅の部屋まで来た。スロープになっている一段高くなっているところから手すりにつかまって下を見ると、阿修羅像が燦然と輝くように、黄金色の光の中にこちらを向いて立っていた。なんという美しいお姿だろう。ここから見るとこころなし小ぶりに見える。僕は手すりにつかまったまま、初めて阿修羅に出会った時のことをぼんやりと思い出していた。
あれはまだ20代の初めのころだった。ひとりで奈良の郊外の寺々を廻った後、興福寺宝物館に立ち寄った。たしか部屋の一番奥の場所のガラスケースの中に、阿修羅は立って僕の方を見ていた。まるで1300年近い時空を超えて生きているかのようにそこにいた。憂いを含んだその瞳は僕を超えて遥かなものを見つめていた。今でいう美少年の原型のようなお姿だった。ほっそりとしたその肢体、下駄か木靴のような履き物、モンペのようなズボンのようなものとその布に描かれた花のような模様と藍の色彩、胸の部分に垂れている見事な首飾り、きれいなおなかの臍、そして正面と左右の3つの頭部、六本のしなやかな細い手、ひと組の手は胸の前で合掌のポーズである。そういう細部に至るまでを鮮明に思い出していた。
2度目に会ったのは30代になってからである。僕は高校の教師になっていた。修学旅行の引率で、担任している高2の生徒たちと阿修羅の前に立った。そして3度目が今度である。
ぼんやりと物思いに耽っている間に疲れも取れてきた。スロープの下は阿修羅を囲んで二重三重に、いやそれ以上の人の渦である。阿修羅はガラスケースの中ではなく人々の輪の中心に立っている。手で触れるほどの真近かにいるのだ。阿修羅と人々の間には一本の白い紐が張られているだけである。係員の若い人たちが紐の先頭に立ち、叫んでいる。「押さないでください。時計回りにゆっくり回ってください。止まらないでください」…。僕はその中に入らないで、その群集の肩越しに阿修羅の顔をしばらく見ていた。阿修羅は自分のために集まってきたこの衆生の群衆をどう思っているのだろう。もともと阿修羅はインドの戦いの神である。阿修羅はその憂いを含んだ瞳で、現代という底知れない修羅場で日々戦っているわれら衆生を見つめながら、深い瞑想に耽ってくださっているのだろう。僕はそんなことを考えながら、その場を離れた。



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2009年06月03日

長蛇の列の中で

上野の東京国立博物館で開催中の阿修羅展に行ってきた。昨日(6月3日)テレビで来場者が80万人を超えたと報道していた。相当混雑するだろうと予想はしていたが、今日出かけて行ってこれほどの難行苦行とは思いもしなかった。上野駅の公園口の改札のところに人の列ができていた。係員に聞くと、ここで整理券を買った方が会場へ行って買うより早く買えます、というので並んで買った。
改札を出るともう相当の人出である。途中の西洋美術館ではルーブル展をやっている。ここへ入っていく人も多い。大噴水の脇を歩き、広い道路を渡るともう国立博物館である。整理券を見せて正門を入るともうすごい人の波だ。表慶館の横に最後尾があり、プラカードを持った人が整理に当たっている。
この時ちょうど午前11時半であった。この時間にここから4列で並び始めたのだ。立錐の余地もなく人が並んでいる。ほんの僅かずつ動いていく。今日はさほど暑くないので助かる。それでも蒸してきたので僕はジャケットを脱いで手に持った。
1時間ほど経過するが、まだまだ先が長い。もうだいぶ疲れてきた。ようやく会場入り口の平成館の建物が見える。入口の前に大きなテントが見える。このテントへたどりつく頃には僕はもう精も根も尽きはてたといった感じになっていた。ここまでに来るのにさらに1時間を要したのであった。
テントに入ると今度は4列から8列になるように指示された。しばらく待つと、さあお入りください、と声がかかった。時計を見ると午後2時近くなっている。
会場へ入った。中も相当の混雑ぶりである。僕は阿修羅の像にまっすぐ直行しようと思った。一つ一つの展示を見ていたら、疲れてしまっているので、このまま倒れてしまうのでないかと思ったからである。ところがそうはいかない。少しずつ少しずつしか進めない。8部衆と10大弟子の部屋に入ったが、もうこのころには目もかすんできていた。鶏の頭部を持った迦楼羅(かるら)だけは前々からよく見たいと思っていたので、しばらくその前に立って見ていた。幸いなことに、その像は部屋の端に展示してあり、人に押されもせずに前に立つことができた。(続)
posted by tora13 at 22:57| 埼玉 曇り| Comment(1) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月02日

モリとカヤ

このごろは目がすぐ疲れる。それに目がかすんでしまうこともある。そんなわけで夜は遅くまで本を読んだりすることもテレビを見ることもあまりしなくなった。そのかわりにラジオを聞くことが多くなった。
先日NHKの深夜放送を、床の中で聞いていたら太田治子さんが話していた。その時太田さんは池袋にある熊谷守一美術館のことを話していた。聞き手は宮川アナである。
太田さんは熊谷守一の娘の榧(カヤ)さんのことを話していた。最近太田さんは熊谷守一美術館へ行ってきたようだ。そこに「モリの手」という作品が展示してあって、それを見てきたという。その作品は守一の娘の榧さんの作品だという。太田さんはそれに興味をひかれたようだ。守一(モリカズ)の作品のことではなく、「モリの手」についていっしょうけんめい話している。それがまた太田さんらしくて僕は気に入ってしまった。「モリとカヤさんはとても仲のいい親子だったのよ、だからお互いにモリ、カヤって呼び合っていたのよ。そういう親子って素敵ですよね」と、太田さんは宮川アナにあいづちを求めている。宮川アナも、ええ、と応じている。彼はあいづちがうまい。それはそうだ。彼はNHKのお昼の番組「のど自慢」でならしたヴェテランアナウンサーである。
熊谷守一といえば、孤高の画家としてよく知られている。後半生は池袋の小さな自宅の庭で小鳥や昆虫や花や木を題材にして、隠者のような生活を送っていたとも聞く。あの辺り一帯は戦前、貧乏な画家や詩人たちがたくさん住み、池袋モンパルナスと呼ばれていたところだ。
太田さんは地下鉄要町の駅で降り、そのころの風情を想像しながら歩いて熊谷美術館まで行ったと話していた。美術館は守一亡きあと自宅後に、榧さんが私費で開館し、その後豊島区に寄付し、現在は豊島区立熊谷守一美術館として今も榧さんが館長をしているという。
熊谷守一は文化勲章を辞退した画家として僕の記憶の中にはある。たしか勲3等の叙勲も断ったとも聞いている。やはり本当の芸術家は違うと思う。こういう人がまだこの国にいたのかとその時は思ったものだ。

なお、ご存知の人も多いと思うが、太田治子さんは太宰治と太田静子の間に生まれた娘である。僕は太田さんがNHKの「日曜美術館」のアシスタントをしていた頃からのファンである。
posted by tora13 at 20:03| 埼玉 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする