2013年01月04日

2013年年賀状

 
 迎春 

 頌詞に代えて
  古利根川逍遥
春日部の寺町ゆけば笹子鳴く  
遠く来てさびしくないか百合鴎
風寒き古利根川の橋に立つ
楸邨の影追ふ冬の古利根川(ふるとね)に

お健やかに新春をお迎えのことと拝察いたします。日頃のご無沙汰をお詫び致します。今年が皆さまになお一層良い年になりますよう祈念いたします。
本年のご健勝をお祈り申し上げます。

  2013年 元旦
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2012年01月01日

2012年年賀状

謹賀新年

 帚木に影といふものありにけり  高浜 虚子
信州阿智村にある神坂神社に参ったその折、近くにある新古今和歌集や源氏物語にも出てくる帚木を見に寄りました。昭和32年の暴風雨で折れた残骸から生まれた新しい帚木が二本立っていました。残骸の根元のあたりは樹齢数百年ほどであったと思われるが、これもこのままではいつかは影も消えてしまうだろう。何とかならないものか。

お健やかに新春をお迎えのことと拝察いたします。日頃のご無沙汰をお詫び致します。昨年はお会いしたいと思いながらついに実現できなく誠に残念でありました。今年は是非久闊を叙したく思っております。
本年のご健勝をお祈り申し上げます。
 平成24年 元旦
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2011年12月02日

野熊の庄 月川(げっせん)

E女史の夫君A君の運転する車で昼神温泉に向かう。しばらく走ると道が少し細くなり、渓川に沿って進む。
あれが網掛山です、と左手の台形の姿のいい山を指してK君が云う。やがて両側の整然と並木になっている道で、春に来るといいですよ、これは山桃の木です、とK君。平地になっていて、まわりは山で囲まれて、せせらぎの音がして桃源郷のような里に出た。そこが今夜の宿『野熊の庄 月川(げっせん)』であった。辺りには家もなく、静かな山里である。昼神温泉はもう少し先であり、ここは一軒だけの宿であった。玄関に入ると、フロントには11月のはじめというのにもうストーブがガンガンと燃えていた。 
その夜の夕食にはヤマメの塩焼きが出た。宿の女中さんによれば、ここではアマゴと呼んでいるそうであった。夜遅く露天風呂に入った。大きくて広く庭がきれいだった。僕の他に誰もいなかった。いつまでも入っていたかった。見上げると、夜空に星がまたたいていた。


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2011年12月01日

晩秋の頃…園原へ

今日久しぶりにこのブログを開いた。考えて見たら我が家にロシアの猫スパシーヴァがやってきたころに、更新して以来であるから、かれこれ3ヶ月が過ぎようとしている。
晩秋の頃、友人4人で園原へ行った。中、高校、大学と同期のE女史とその夫君、それに高、大同期のK君と僕の4人で「4人の会」と名付けて2年に1度、1泊の旅行をしている。園原というのは『信濃の国』の中で、
 訪ねまほしき園原や…
と歌われているあの園原である。長野県人ならこの歌は誰でも知っている。しかし僕はすぐ近くの飯田市に生まれ育ったのに園原へ行ったことがなかった。その日新宿から高速バスで中央道を飯田へ向かった。4時間15分の旅である。
約束の伊賀良の停車場には、地元のK君と長野市から車で来たE女史夫妻が待っていてくれた。

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2011年09月08日

スパシーヴァ

我が家にロシアの猫がやってきてから3日目に入った。最初の夜は寝かしてもらえなかった。一晩鳴き明かした。飼い主だったNさんの家へ帰りたかったのだろう。玄関の内側で、ドアを開けろというしぐさをする。仕方がないので、Nさんからいただいた犬の散歩用のひもを首輪をつけて外へ出る。門の所まで来ると門扉を開けろというしぐさ。街路へ連れ出すわけにもいかずしばらく庭の木につないで様子を見る。しばらくして邸内に入れる。家中のドアというドア、窓など出入り出来そうなところをすぐ覚えてしまって、また外へ出せという。放っておけば鳴き続ける。仕方なくまた外へ連れ出す。この繰り返しであった。
寝るときも寝床に抱いて寝かせようとするが、少し静かにしているが、すぐまた外へ出せという。やむをえず、ひもをつけ庭へ出て猫と一緒に時を過ごす。虫が鳴き、夜空には星がまたたき、もう気持ちのいい秋の夜風である。猫はやさしかったNさん夫妻のことを思い出しているのだろう。
猫の名前はスパシーヴァとつけた(オスならスパシーボとするのだが)。ロシアの猫というので、ロシア語で知っている唯一の語、「ありがとう」の意味のスパシーヴァと妻が名付けた。Nさんからロシア猫をいただけるときいたときから、妻はそう決めていた。
僕は「ありがとう」の語は、サンキューの他には、メルシ(フランス語)、ダンケ(ドイツ語)、シェシェ(中国語)、カムサハムニダ(韓国語)くらいしか知らなかった。妻にきいてロシア語ははじめて知った。「ありがとう」は他の国々では何というのだろう。そこで調べて見た。
トゥリマカシ(インドネシア)、オークン(カンボジア)、カム・オン(ベトナム)、コップンカ―(タイ)、グラッチェ(イタリア)、シュックリヤー(パキスタン)、グラシアス(スペイン)、オブリガード(ポルトガル)、タック(スウェーデン)、ジンクイエム(ポーランド)…。
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2011年09月06日

ロシアの猫がやってきた

今日の午後、新しい猫がやってきた。飼い主のNさんが駅まで連れてきてくれた。
昨年の8月31日に愛猫のビ―が死んだ。ビーは日本種の三毛猫の雑種だった。我が家に16年程いて、天寿をまっとうした。残暑まだきびしい夜に静かに息を引き取った。庭の片隅に家族みんなで葬った。そこは黒猫のチェシャを埋めた場所である。その一角はそれ以来我が家の聖地となった。僕は、所帯を持ってから猫を切れ目なく飼い続けてきたが、ビーが死んだときはさすがにがっくりきて、もう猫は飼うまいと思った。ところがげんきんなもので今日猫の顔を見たとたんに、飼ってもいいな、と思ったものだ。じっと僕の顔を見る。ロシアの猫とは聞いていが、その瞳はエメラルドグリーンというのか、実にきれいな澄んだ眼をしている。毛はグレイで、陽に当たるとやや青がかって、つやつやと輝いている。ロシアンブルーという種類の猫だと思うが、その種の雑種で、顔と胸と脚の一部に白が混じっていてほどよい気品がある。外国種の猫は、長女がアメリカから連れ帰ったアメリカンショートヘアのメルという名の猫を飼って以来である。長女もメルも今はこの世にいないが、天国から、パパ、よかったね、飼えばいいじゃん、と言っている声が聞こえたような気がした。というわけで猫との生活がまた今日からはじまった。



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2011年08月04日

ある民俗学者

自宅の机上に『吉川市史 民俗編』という分厚い本がある。この2,3日ときどき開いて読み耽っている。実におもしろい。僕はいままで民俗学の本を読んだこともなかったし、興味もなかった。吉川市とは千葉県寄りの埼玉県にある中堅都市である。僕は吉川市へ行ったこともないし、この本と出会わなかったらこの町とは一生無縁で終わってしまっただろう。しかし今ではこの町が、中川と江戸川に挟まれ、古くから葛飾早稲米の産地として知られ、また河川の恩恵を受ける一方、水害に悩まされてきたなど、町の歴史についてもある程度知ったし、この地で暮らしてきた人々の主に大正以降の伝統的な生活史などもわかった。
先日地元のJRの駅でたまたま、地域では民俗学者としてよく知られている内田賢作氏と十数年振りに出会って、車内でご一緒して話した、そのときはそれだけで別れたが、数日後内田氏が上記の本を持参して訪ねてきてくださり、お暇な折に読んでみてくださいと置いていったのである。
平成22年に出版社「ぎょうせい」印刷の『吉川市史 民俗編』(吉川市発行 吉川市史編纂委員会編集)は、第1巻『吉川市史 資料編 原始・古代・中世』に続く第2巻として刊行されたもので、吉川市史全7巻を刊行する計画である。僕がいただいたこの第2巻『民俗編』は内田健作氏が部会長として中心となってまとめたものである。このような市史は地味であるが資料としては第1級のものが多く、どこの図書館にも奥の一角に郷土史関係として置かれている。
内田賢作氏については、『図説日本民俗誌 埼玉』(岩崎美術社 1986年 ) というすぐれた著書もあり、永く県内各市の市史等の研究にも貢献しており、日本民俗学会の重鎮の一人である。僕は彼のような地域に根ざした研究をこつこつと続けている学者にあらためて深い尊敬の念を抱く。そのうち機会をつくってゆっくりご高説を拝聴したいと思っている。






posted by tora13 at 11:33| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月02日

一期は夢よ ただ狂え

先月5月6日に官能小説の第一人者だった団鬼六氏が逝った。僕は彼の出世作『花と蛇』くらいしか彼の作品を読んでいないが、団氏の晩年の小説『真剣師・小池重明』の主人公で、実際団氏が生前交流のあった天才的な市井の将棋師といってもいい小池重明氏のはちゃめちゃな生きざまなど思うと、「一期は夢よ ただ狂え」という言葉など思いだしてしまう。この言葉は、室町時代の歌謡集『閑吟集』の54,5番に出てくるが次のような一節の一部である。

何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え

ここでいう「くすむ」とは「もっともくさい、分別くさい顔をする」ことである。この一節の意味は簡単に言えば、「まじめくさってみたところで、何になるというのだ。所詮、人生は夢まぼろしよ。ただ我を忘れて遊び暮せ」といった意味であろう。

僕なども、ときどき忘我遊狂に生きてしまいたい、と思うこともあるが、所詮先行きは、どぶ板を踏み外して死ぬことになるだろう。以前どこかで書いたが、モジリアニにしろ、鴨居怜にしてもそうだったのではないか。実際、団鬼六氏といい、、鴨居怜にしても、いろいろのところで「一期は夢よ ただ狂え」と言っているようである。






posted by tora13 at 17:30| 埼玉 ☔| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月12日

胸に迫る『黒いカナリア』…高木ちえ美さん

昨日午後北区赤羽の商店街を歩いていたら、レコード店の前で人だかりがしている。どうも新人歌手のキャンペーンらしい。僕の好きな曲のひとつ、朱里エイコの『北国行きで』(作詞山上路夫 作曲鈴木邦彦)を歌っている。歌っているのは朱里エイコではない。人混みの後ろからのぞいてみると、若い歌手である。朱里よりも強烈なパンチがある。独特のハスキーヴォイスで、大人の色気と情感もたっぷりある。僕は思わず聞き入ってしまった。店頭の人から受け取ったチラシによれば、歌手の名は高木ちえ美さん、新曲『黒いカナリア』で売り出し中なのだ。
いよいよ『黒いカナリア』を歌いはじめた。(作詞一葉よう子 作曲辻宏樹)とチラシにはある。

♪・・・
黒いカナリア 籠もないのに
黒いカナリア 飛び立てないの・・・♪

歌い終わると、別の彼女の持ち歌『新宿夜霧』も歌った。この曲もよかった。僕は久々にいい演歌を聴いた気持ちになった。艶歌、いや怨歌と言った方がいいかもしれない。この歌手は将来大成するな、島津亜矢、中村美津子のような、それとも青江美奈のような、と思った。僕のカンは案外当たる、と自負している。巣鴨の地蔵通りでまだキャンペーン中の氷川きよしを聞いた時もそうだった。場所はどこか忘れたが、香田晋を聞いた時もそうだった。
これもチラシによれば高木ちえ美さんは、2002年に『少し愛して…永く愛して』でデビューしたという。僕が知らなかっただけで彼女は新人ではない!(ごめんなさい)。特技はクラシックバレエと、なんと土木作業という。このこともすばらしい。生きるヴァイタリティーがある。高木ちえ美さん!がんばれ!応援します。





posted by tora13 at 13:43| 埼玉 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月10日

なぜ高円寺「反原発デモ」は報道されないのか

東日本大震災が起きてちょうど1カ月たった4月10日、東京・高円寺で大規模な反原発のデモがあった。このことについて日本のマスコミは一切報道しなかった。不可思議なことがあるものだ。そのデモには1万5千人の市民が全国から参加したという。一般の市民が企画し主にインターネットで、twitter等を通じて参加を呼びかけたという。僕はこのことをかなり後になって知った。そして思った。どうして日本のテレビも新聞も、このデモを報道しなかったのだろう。このような報道管制みたいなことをあえてしたのだろう。原発の賛否はともかくとして中立の立場からでも国内の大きな出来事に対してマスコミは報道するのが視聴者や読者への責任と義務であるのではないのだろうか。

いま発売されている週刊誌「週刊現代」(5月21日号)の新聞広告を見た。その広告記事の見出しは総力特集『この国は電力会社に丸ごと買収されていた』として、

『原発マネーに群がった政治家・学者・マスコミ
なぜ原発がこの地震列島に54基も作られたのか。巨額の「反原発」対策費が政・官・財・学・メディア・地元に投下され、「持ちつ持たれつ」「あご足つき」で骨抜きにされていった過程を暴く』

と。ここまで読んで、今回の高円寺の反原発デモのことをふと思った。杞憂に終わらなければいいが…。

それにして民主党最高顧問・渡部恒三代議士は地元福島県に原発を熱心に誘致した人として知られているが、なぜ最近テレビに登場しないのだろうか。渡部氏は平成の水戸黄門などと言われ、また本人も自称したりしてかつてはときどきテレビでもその健在ぶりを見せていたが、原発事故以後まったく姿を見せなくなった。福島原発事故が起きて2カ月経つというのに一向に収束のめどは立たず放射能不安は増すばかりである。渡部恒三氏は県民および国民の前になぜ姿を見せないのか。このまま寡黙を続けるつもりだろうか。


posted by tora13 at 12:13| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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