2009年11月07日

夜の駅風景

それは何とも懐かしい光景であった。『夜の停車場』と題する絵であった。思わず足を止めてしばらく見入ってしまった。その絵の作者は高村真夫(1876〜1955)である。はじめて聞く名であった。
僕はときどき上野の国立博物館へ出かけていく。展示されている作品は、国宝をはじめ日本を代表する第一級の品ばかりである。ある時は刀剣を見ていることもある。また埴輪や土器に見入ることもある。古い絵巻物や甲冑を眺めることもある。仏像の前に立ち尽くしていることもある。
その日は他に用事がありちょっと間があった。例によって国立博物館で時間をつぶした。本館1Fの18室の出口近くに、その絵はあった。
夜の停車場のベンチに老人と若い女性が座っている。おそらく服装からして大正か昭和の初期かもしれない。左上から電灯の黄色い光がベンチに腰掛けている二人にさしている。年老いた父は羽織袴で、下駄をはき、黒い蝙蝠傘に両手をもたせてうつむき加減に目をつぶっている。横の和服の女性は疲れ切った様子で、行李にもたれて顔を伏せている。女性の足は白足袋に草履。膝の上に半開きになった扇子が置かれている。老人と同じく女性も婦人用の黒い雨傘を身に立てかけている。沈鬱な心情が画面からあふれている。
駅のベンチでこんな親子の姿を昔はよく見かけたものだ。僕自身にもそんな経験がある。大学を出た年、僕も母親を東京へ呼んだことがあった。母と二人で都内を見て歩き、くたびれてしまい東京駅のベンチに並んで腰かけていたことがあった。そのときのことをこの絵を見ながら僕は思い出していた。その母ももういない。
当時は、鉄道の駅や車内という場は、画家にとって強く惹きつけられる主題であったのだろう。
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2009年11月06日

久しぶりのシャンソン

銀座の博品館劇場で「嵯峨美子30周年コンサート―いま生きる時代」があった。句会の仲間に誘われて、じゃあ、久しぶりに行ってみるか、という気になった。コンサートは11月4日(水)7時30分からだった。嵯峨美子さんは僕の属している俳句結社の仲間でもある。構成・演出は加藤直、演奏はピアノ・山田武彦、ギター・伊丹雅弘、ベース・齋藤順、パーカッション・萱谷亮一の諸氏であった。
嵯峨美子さんは端正な美人である。それに元新劇の役者だけあって語りがうまい。語り始めるといつの間にか歌いだしている。そんな彼女のシャンソンの世界に惹きこまれていった。博品館はそう広くない。定員は4百人弱か。シャンソンにはそれくらいの会場がいい。ぎっしり満員の盛況であった。むかしは銀座の銀巴里や渋谷のジャンジャンなどのステージで鍛えた彼女も、今はもうシャンソン界のベテランに入る。このくらいの会場で2時間たっぷり一人舞台で聴かせる歌手である。曲目は、
第一部は
いつか森へ行こう/わが麗しの恋物語/聞かせてよ愛の言葉を/ミラボー橋/昔の歌/涙/リヨン駅/あきれたあんた/リリー・マルレーン/百万本のバラ
第二部は
サンフランシスコの六枚の枯葉/愛の贈り物/運河/愛の幕切れ/ボン・ボワイヤージュ/スカーフ/再会/貴婦人/愛は限りなく

嵯峨美子さんと言えば、深作欣二監督の映画火宅の人』(1986年)の中で主題歌「火宅の人」を歌っているのが彼女である。作家檀一雄の代表作とも言える作品の映画化である。家庭を捨て、新劇女優と同棲するなど、自由奔放な作家の生きざまを描く、この映画を僕は2度見ている。キャストは 緒形拳 いしだあゆみ 原田美枝子など個性派ぞろいであった。
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2009年11月02日

老教師


真夏日の古書街をゆく老教師

この句、夏のころ、句会で出した僕の句である。選者の先生は、この句を特選に採ってくれて、この老教師はおそらくは作者本人のことだろう、といった。汗顔の至りである。その通りである。僕は思い立つと神保町へ出かけていくことがある。この句は夏の日盛りの中をリュックを肩に汗をふきふき歩いていたらこのように他人からは見られるだろう、と想像して詠んだ。
昨日も神保町へ行ってきた。神田は恒例の古本まつりをやっている。昨日は日曜日とあって大賑わいであった。すすらん通りには各出版社のワゴンもたくさん出て新刊本なども半額で売っていたりする。昼からバーの出店もあり、ワインを一杯ついでもらい疲れをいやした。宇崎竜童のバンドが出ていた。彼も老けたな。でも往年のように声は若々しい。
バンド演奏が済むとそこが古本の競り市会場になった。これはチャリティである。昨日は見ているだけで買わなかったが、何年か前このセリで『三島由紀夫評論全集(全4巻)』(新潮社)が出た事があった。僕はころ合いを見て手を上げて3,000円で落とした。そしたらなんと『小川国夫作品集(全7巻)』(河出書房新社)をおまけに付けてくれた。まだそのころどちらも新刊で書店で売っている頃で、時価で7,8万はしたろうか。
すずらん通りでは昨日はトーハンもワゴンを出していた。ちょうど欲しかったので『新刊ニュース』(11号)を100円で買った。家に帰ってトーハンの包みを置けたら、前月、前々号のほかに、おまけのつもりだろうか、石原裕次郎の記念トランプと氷川きよしの写真付きのルーズリーフまで入っていた。これだから古本まつりは楽しい。
そのあと靖国通りの書店街をぶらぶら歩き、新潮古典文学アルバム『万葉集』ほか万葉集もの3冊、道浦母都子の『女歌の百年』(岩波新書)、福田甲子雄編著の『蛇笏・龍太の山河』(山梨新聞社)、石寒太の『芭蕉の名句・名言(吉行和子の朗読CD付き)』(日本文芸社)など短歌や俳句の本をいくつか買って帰途についた。
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2009年10月27日

正面から切り込んだ鳩山首相

鳩山首相の所信表明演説をテレビで見た。後で52分の演説であったと知ったが、そんなに長い時間だったとは少しも感じなかった。それほどに充実し、深く聞き入った52分間であった。

「あの暑い夏の総選挙の日から、すでに2カ月がたとうとしています。」

と淡々と国民に語りかけるように、自分の言葉で誰にもわかるように、自らの政権が目指す社会の姿を、政治の理念を語りかけたいという氏の思いが伝わってきた。最近の自民党の多くの首相たちが、各省庁から出された政策を読み上げるだけの演説とは大きな違いであった。
青森県に遊説に行ったときに会ったおばあさんの息子さんが職に就けず自らの命を絶つしかすべがなったという例をあげて、「いのちを守り、国民生活を第一にする政治」について熱く語り、また、従業員の7割が障害者という工場について紹介し、働く側も受け入れる側も苦労は小さくないが、誰にも「居場所と出番のある社会、支え合って生きていく日本」、弱い立場、少数の人々の視点が尊重される政治について言及し、これこそが友愛政治の原点であるとした。要約すると骨子は、脱しがらみ、脱官僚、脱コンクリート、脱むだの政治であり、具体的には、
・官僚依存の仕組みを排し、政治主導・国民主導の新しい政治に転換する。
・弱い立場の人々、少数の人々の視点が尊重される社会の実現する。
・市民やNPOの活動を側面から支援する。
家計を直接応援することで「人間のための経済」への転換を図る。内需中心の安定的な成長を実現する。
・地域のことは地域に住む住民が決める「地域主権」改革を断行する。
・2020年に温室効果ガスを1990年比で25%削減する目標を掲げ、国際交渉を主導する。
・緊密かつ対等な日米関係を基礎とする。

やや具体性に欠けるという批判もあるが、さまざまな格差や痛み、制度のほころびが深刻になっている日本社会にあって、正面から、社会の作り直しを訴えた率直さが新鮮に響いた。
自民党の新総裁谷口氏はコメントを求められて、「冗長で、感傷的」と言い切ったが、では諸君らの末期的症状だった麻生政権は何をしたか、いや歴代の自民党政権と官僚との汚れきった癒着が今のような日本にしてしまった責任をどう取るのか、ばかも休み休み言え。
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2009年10月25日

『こころ』と有ちゃん

今朝『こころ』を読み終えた。どういうわけか急に漱石を読みたくなった。昨日の土曜日、近くの本屋に立ち寄って文庫本の棚を見て、『こころ』があったので買った。夕飯後から読み始めて明け方の4時ころまでかかった。読み終わって今まだ軽い興奮の中にある。読み終わって本の奥付を見ると、
1927年7月10日第1刷発行
1989年5月16日第79刷改版発行
2009年1月6日 第120刷
とある。実に82年の長きにわたって120回もの印刷発行を繰り返してきたのである。まさに日本近代文学中のロングセラーであったのだ。かつての親友を裏切って死に追いやったという過去を背負い、罪の意識にさいなまれつつ生きてきた「先生」の人生。明治という時代が終わろうとする時代背景の中で物語は淡々と進んでいく。やがて明治天皇が亡くなり、乃木大将夫妻が殉死するという事件が起こる。それに触発されるかのように「先生」は「私」に長い遺書を残して自殺する。
僕はこの『こころ』を50年も前の学生のころ、有ちゃんという中学生の少年に刺激を受けて、初めて読んだ。そして衝撃を受けた。
有ちゃんは頭の良い、前向きな少年だった。僕が家庭教師として通っていたアルバイト先の中学生だった。いわば僕の教え子である。僕は彼の利発さにひかれた。そして気があった。彼には兄があり、妹も二人いて、僕はその子たちも教えたが皆いい子で、兄妹仲もよかった。下町の工場主の子どもたちであった。ところが彼ら一家に不幸が襲った。母親が亡くなり、下の妹も亡くなった。僕が彼らの家に通っていた僅か2年ほどの間の出来事だった。有ちゃんは青山学院の中等部に通っていたが、あんな学校はお坊ちゃんばかりで自分には合わない、と言って父親を説得して地元の公立中学に自分でさっさと転校してしまった。そんな有ちゃんがあるとき、『こころ』を読んだ話をした。その話の中で、「K」が死ぬくだりの箇所で、「先生」が「K」の頭を抱くところで、「K」の頭が重かったという部分を話した時の有ちゃんの声と表情を今も覚えている。僕は恥ずかしいことだが、その時までまだその本を読んでいなかった。すぐ帰り道に買って読んだ。
有ちゃんとは僕が大学卒業と同時に疎遠となっていった。いつだったか、彼の家のあった辺りへ行ってみてが、彼の父親の会社も家もなかった。
最近になって彼の消息が分かった。彼はいま日本有数の産婦人科医となり活躍しているようだ。いつか会いたいと思っている。もう有ちゃんも60を超えているだろう。
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2009年10月24日

だから政治家は信用できない

郵政新社長に元官僚を据えたことだけはどうしても納得がいかない。この元官僚の能力がどうか人間がどうかではない。元官僚であるというその一点においてである。筋が通らない。今回の総選挙で国民が選択した審判に逆行する行為であるからだ。
僕らが選んだ民主党政権である。だから多少の失敗や勇み足は我慢する。しかしせっかく官僚主導型政治に別れを告げ新しい時代が来ると思っていたのに、こんな水を差すやり方はない。こんな人事をすればこれを契機に官僚ののさばっている今の霞が関や、国民の税金を使い放題の官僚天下りにこの政権が本気に取り組むことができるのか疑念が出た。亀井氏は西川の後任には最適な人がいる、俺に一任してくれと鳩山首相の了解を取った上での斉藤次郎氏指名であったと報道は伝えている。いざ蓋を開いてみたら元官僚だった。これにはあきれた。思えば亀井氏も元警察官僚だった。さぞ鳩山氏も驚いたことだろう。元官僚ではないか、と鳩山氏も少しは反対はしたようだが、亀井氏の強引さに押し切られたようだ。なぜ首相として体を張って阻止しなかったのか。
僕は亀井静香氏や小沢一郎氏くらいしか与党3党には本物の政治家らしい政治家はいないと思っていた。この二人がいる限り自民党のへなちょこ議員たちが束になってかかっても今度の政府与党には太刀打ちできまいと思っていたくらいだ。
元官僚見え見えのこんな抜き打ち人事は許されるものではない。これで官僚改革も大きく後退するは必定だ。だから政治家は信用できない。民主党政権に期待していた多くの国民にとって郵政新社長人事は大きなマイナスである。こんなことでは多少は大目に見ていたこの政権の在りようにもしっかりと目を光らせていかねばなるまい。
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2009年10月20日

星の流れに

終戦から1年、町は飢えていた。昭和21年8月29日、、毎日新聞にこんな投書が載った。投書の主は看護婦(21)。

中国・奉天から着の身着のままで引き揚げた私は両親を亡くし頼る人はいなかった。やっと待合の賄い仕事を見つけたが、女主人から身体を売ることを強要されて逃げ、上野の地下道にたどりついた。3日間、食べるものもなく飢える寸前、男が握り飯を二つ差し出した。次の夜も男は握り飯を持ってきた。「話があるから」と公園へ誘われた。それ以来私は「闇の女」とさげすまれるような商売に落ちてゆきました。』

この投書の載った、今買ったばかりの新聞を作詞家清水みのる氏は新宿駅近くの安酒場で何度も読んだ。怒りがこみ上げてきた。これは現実であり、人生であり、生きた感情であり、のっぴきならぬ女性の涙の訴えだった。詩情に動かされていった。こうして生まれたのが戦後日本の現実を歌って大ヒットとなった菊池章子の歌う「星の流れに」である。この話は10月10日(土)、朝日新聞「be」版に特集記事である。こういった話を若い人たちはどう読んでいるのだろう。すでに風化しつつある終戦直後の苦労話として見過ごされていくとしたら悲しいことである。
天皇の戦争責任について同じようなことが言えるかもしれない。昭和天皇はある時記者会見で、そのことを聞かれて、「そういう文学のほうのことは」とあいまいな言い方をした。これをテレビで見ていて唖然とした。東条英機らはいろいろ言われているが、彼らは少なくとも戦争の責任を自らの体で受け止め、戦争犯罪人として死んでいった。天皇の臣下として、天皇に責任が及ぶのを自らの命であがなったのである。自らの直近の臣下らがそうしているのである。天皇は「文学のほうは」でだったか、「文章のほうは」だったか、そんな言葉で、絶好の謝罪の機会を逃してしまった。天皇は国民に対して謝らなかった。つまりまだ謝っていないのである。いや、言及しなかったと言っていい。

カラオケなどで僕は誰かが「星の流れに」を歌うのを聞くと、いつでも涙が溢れそうになる。


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2009年10月17日

平成維新の主役たち

昨日のブログを読んで何人かの友人たちから電話をいただいた。
どうも僕の友人たちはパソコンを避ける傾向のお人が多く、感想はよほど何か言いたいときには電話をかけてくる。ページにその都度コメントやトラックバックしてくれるといいのだが、そんなお人は一人もいない。携帯電話のメールさえ使えるお人はいないのである。僕も60過ぎの手習いであるから、辛うじてブログをなんとか続けている。
このブログは無料のブログであり、感想を日々書いて更新するだけのいたって簡単なもの。無料であるから、ブログ内に商品の宣伝などが勝手に入る。僕が商売をしているわけではない。僕のふところにビタ1銭入ってくるわけではない。誤解して僕が商売で稼いでいると思っている人がときどきいるが、僕はそうなればどんなに生活が楽になるかと夢想することがあるが今のところ逆立ちしてもない。ちょうどいい機会なので一言言っておきたかった。

さて電話の内容は菅直人氏を大久保利通、小沢一郎氏を西郷隆盛に例えたことについて、いろいろご意見を言ってくれるお人が多かったが、聞いていて面白かった。まあ賛成反対相半ばというところか。さてそれなら貴公は鳩山由紀夫氏は例えて言うならだれかと聞かれた。僕は三条実美ではないだろうか、と答えておいた。さすれば平井官房長官はさしあたり三条公の執事というところか。僕は執事の名を何かで読んだことはあるが、不幸にして今思えだせない。確か篤姫が明治になって箱根へ行った時、その執事は三条公の命で付き添ったのではなかったか。

僕は昨夜は明治の元勲たちに今の政治の主役たちをあれこれ当てはめたりして秋の夜長を過ごしたのであった。
枝野幸男氏は今ほされているようだが、明治でいえば江藤新平あたりか。野田佳彦氏はなんとか省の副大臣にもぐりこんだが、本人としては不満だろう。本人は法務大臣くらいは回ってくると思っていただろう。明治の初代法務卿にして悲運の最期を遂げた江藤新平には枝野氏か野田氏がいいと言ったら本人たちは怒るだろうな。でも怒るようではまだ子供かな。僕は江藤を尊敬しているのだ。もっとも枝野氏は僕が文学賞をいただいた時、記念パーティーの席にわざわざ駆けつけて挨拶をしてくれたことを僕は決して忘れていない。
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2009年10月16日

民主党への3つの期待

民主党政権になって1カ月を超えた。明治維新以来の大改革と呼び声は高いのであるから、性急に結論を出すべきではないの思うのだが、気になることがあるので指摘しておきたい。来年度の概算要求が各省庁から上がってきたがどうもトータルで90兆円を超えそうだ。各省庁とも大臣、副大臣、政務官が一体になって官僚を指導し切り詰めるべきは切り詰め、マニュフェストで公約したことは守ろうとするのだから、ご苦労も大変だろう。でもやはり気になることがある。まず第一にやるべきことができていないきらいがある。官僚主導から政治主導にするためにも次の3点を指摘したい。

1.菅直人氏の国家戦略局の力が思うように発揮されていない。小沢幹事長と平野官房長官に挟まれて菅氏は力を出し切っていない。国家戦略局をどう生かすかこそ、民主党政権の成功するかどうかの要である。菅氏はそれに応えられるだけの力とキャリアを十分に持っている逸材である。小沢氏と平野氏はもっと菅氏の力を発揮できるように支えるべきである。明治維新に例えるならば、菅氏は大久保利通、小沢氏は西郷隆盛の役割を担うべきである。
2.早急に天下り官僚の首を切るべきである。独立行政法人や国の外郭団体等はできるだけ速やかに整理、縮小、統合等を行い、たいして必要もない行政機関はなくすことである。そしてそこに天下りしている元官僚をすべて首にするべきである。残されたどうしても必要な団体、機関の長、役員等はボランティアの無給としたらいい。またスタッフは民間から有能な社員を引き抜けばいい。公立高校だって校長などで民間から採用された校長が意欲的で学校は大いに活性化している例はいくらでもある。本庁の官僚は事務次官、官房長、審議官、局長等はすべて40代にしたらどうだろうか。50代の者は退職か、昇給なしで雇ってはどうか。民間の苦労を思えばそれでもいいくらいだ。省内はずっと活性化するだろう。公務員は法律で守られているから、よこしまな心をもつものが増えるのだ、以上のことを実行するため法改正をすることが先決である。
3.社会保険庁の歴代長官は顔写真入りで公表し、国民に謝罪させてほしい。あれほどのことをした社会保険庁のトップが今まで知らん顔をしているとは恐れ入る。子供だってわかることである。政治主導であるならまず最初にすべきことではないだろうか。社会保険庁が解体し、別の機関に生まれ変わるらしいが、職員の責任はどう取らせるのか明確にしてほしい。とかく公務員は、みんなで渡れば怖くないで、責任の所在をはっきりさせない。国民の積み立てた年金をあれほどに破廉恥にめちゃくちゃにしてしまった組織ぐるみの犯罪をうやむやにすることはあってはならない。自民党政権時代、当時の阿倍首相は、「我々は3月末までにうやむやになった年金を一人残らずすべて明らかにします」と堂々と国民に向かって言っていたのを僕らは忘れていない。よくもあんなことが言えたものだ。
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2009年10月15日

鏑木清方の『讃春』に思う

東京国立博物館で『皇室の名宝―日本美の華』展を見に妻と出かけた。国博を訪れるのは阿修羅展以来である。先日NHKテレビで特集していたので急に見たくなった。会場は相変わらず高齢者が多い。呼び物の狩野永徳の「唐獅子図屏風」、伊藤若冲の「動植綵絵(どうしょくさいえ)」(30幅)をはじめいずれも選りすぐりの作品ばかりであったが、これは皇室所蔵の名品ばかりであるから、当たり前といえば当り前であろう。
そんな優れた名品の中で僕の目を引いたのは、鏑木清方の「讃春」という大きな屏風であった。目を引いただけではなく僕はいたく感動をを覚えた。右隻には皇居前広場で語らう上流階級の女学生2人、左隻には隅田川の水上生活者の母子の姿が画かれている。両者の置かれた環境はまるで対照的であるが、のびのびと腰かける女学生の足元にはタンポポが咲き、母子の暮らす舟には桜が一枝飾られている。それぞれに等しく訪れた春の喜びがあふれている。両者に等しく注がれる作者の温かいまなざしが感じられるのである。戦前の日本にはこういう温かさがあった。
単純には比較できないし言いきることはできないが、戦前の日本にはこのような風景はごく日常的に見られることでもあったと僕は思う。いま日本は富める者と貧しい者との格差がますます深まってきている。社会そのものが人間関係を乾いたものにしてきている。電車に乗っても高齢者に席を譲るものも少ない。子供も大人も見て見ぬふりをする。どうしてこんな干からびた社会になってきたのだろう。政治の貧困のせいにするのは簡単である。教育のせいにすることもできる。民衆の一票一票が政治を変えた。自民党は巻き返しを図ろうと懸命である。ならどうして自分たちの政権のあるときに破廉恥な高級官僚たちの天下りを見過ごしてきたのだろう。
民主党政権になって様々の試みに挑戦しようとしている。これだけ自民党政権に野放しにされてしまったこの日本がそう簡単に良くなるわけがない。多少の勇み足やつまずきがあっても民主党の政治を温かいまなざしで見守っていきたい。
かつて四民平等という言葉があった。富める者が貧しい者を蔑むこともなく、貧しい者が富める者を羨むこともなく、互いに助け合って分を心得て生きていける社会、鳩山首相の言う「友愛」の社会とはそのような社会を目指すことではないのだろうか。そんなことを考えながら家路についた。
posted by tora13 at 15:11| 埼玉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする